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メリーの日常を、ぼちぼち綴ります。


by maryqueen
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子供の頃の音楽環境~その1

MFCオーナーさんのブログで見つけたこの話題。
私も、勝手ですが、便乗させていただきます。
こんなこと書いても、読む人はなにもおもしろくないかもしれないなぁ。。。と思いつつ、
なんだか、とても書きたくなったので、勇気を振り絞って(そんなにまでしなくても・・・ほほ)
発表(笑)することにした・・・(ということで、たいして期待しないで、お読みください。。。)

私の子供の頃で、音楽といって思い出すのは、オルガン。
超有名なヤ○ハ音楽教室で、幼稚園時代に習っていた。
最初から、特別好きで、行きたいー!と言った覚えはないので、
多分、両親の好みで連れていかれたのだろうと思う。
だいたい、楽器なんてものは、レッスン日以外の練習なしでは、
上達するわけがないものだ。でも、普段は、遊びたいやん。
あまり練習しなかった私は、当然、うまく弾けるわけがなかった・・・。

それでも、時折する家での練習には、これがまた、必ず横に父がいた。
父は、JAZZやシャンソンにも興味がある人だった。
そして、聴いたりするのは好きだけれど、楽器はできない。
なのに、私のオルガン練習には、ものすごく力を入れていた。
父に、「ほれ、練習せんか」と言われたら、ビクーーーーッ!だった。
それは、横にピッタリついてて、私が少しでも弾き間違おうものなら
「ちがう!やりなおし!」と、最初から弾きなおしさせられるから・・・
「オレは、楽譜は読めんけど、間違った音はわかるんや」と。
これがイヤでイヤでたまらなく、泣きながらの練習も何度もあった。

エレクトーンという楽器が出てきた時(いつのことや・・・悲)
教室で、ちょっとそっちのレッスンもすることになった。
両手にまだ足がつくなんて・・・そんな殺生な・・・
しかも発表会では、エレクトーン担当になってしもうた・・・
父は応援してくれたが、発表会当日の私を見てどう思っただろう。
1台のエレクトーンに3人の子供がつく。右手、左手、そして足・・・ 私、足担当・・・
まだ全員が練習しかけて間もなかったので、各パートに分かれたわけだが、
自分でもちょっとショックだった。だって、私だけ立ったままなんだもん。

その後、1年生になる前、エレクトーンかピアノのどちらかのコースを
選択しなければならなくなった。
うちの家に、エレクトーンかピアノ・・・そんなお金もスペースもないよな。
しかも、父のレッスンは嫌いだったし、今、断らないと。。。
ということで、ここであっさりやめてしまった。

小学校で、スペリオは得意だった。スペリオとは、今でいうリコーダー(たて笛のこと)。
そういえば、スペリオとリコーダーの違いはなんだ?
まぁ、いいや。3年生の時、スペリオでなんでもいいから演奏できると思ったら
先生の前で披露しなさい。うまかったら、壁に貼った表に印をあげよう。と、担任は言った。
私は、音楽の教科書にある曲はほぼ制覇し、その後は、ビゼー「アルルの女」の
前奏曲とファランドールの主旋律を、楽譜なしの音感だけで覚えて演奏し、えらく褒められた。
常に、壁の成績表は、独走状態だったわさ。( ̄‥ ̄)=3 えっへん!

そうそう、6年の給食の時間、担任が、男女ひとりずつ指名する。
その二人で、教室内をスペリオを吹きながら歩くのだ。(今思うと、ヘンな光景だな。。。)
その時、私は当時憧れだったM君とあてられた。
「朧月夜」を上と下にパート分けし、歩きながら吹いた。
いつもなら自信があったスペリオだったけど、この時は、すごく緊張していたのを覚えている。
今でも、下のパートは吹ける。たぶんね。。。

さて、ここまで、いろいろ考えながら書いたつもりだったけど
あ~んなことや、こ~んなことまで、次々と思い出しちゃって、
これは、1回には書ききれないと判断。(随分、削除したんだけどなぁ~。。。)

では、おもしろくないだろうけれど、次回につづく・・・ ┐(´ー`)┌ へへ
by maryqueen | 2005-10-06 22:00 | 音楽